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   西田 亙の本:GNU 開発ツール -- hello.c から a.out が誕生するまで --

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2009-01-16 (Fri)

[Thoughts] 落第させられたエジソン少年とアインシュタイン少年

先日紹介した川上正光博士の著書「日本に先生らしい先生はいるのか」の中で、エジソンとアインシュタインの少年時代について、興味深いエピソードが紹介されています。

 発明王といわれたエジソンは、家庭の都合で一年生に入学したのは八歳の時でした。ところが、エジソンが変な質問ばかりするというので、先生はエジソンをバカだと決めつけ、「こんなバカな子は、学校では教えられない」と授業を断ってしまいました。そこで、お母さんが先生に代わって教えることにしたのです。

 エジソンがどんな質問をしたかと言いますと、「2と2を加えると4になる。2に2をかけても4になる。これはどうしてだろう。とても不思議だ」といった類のものでした。

 私はこれを読んで、エジソンは大変賢い子でその質問の意味が分からなかった先生こそ、なんと愚かな先生ではなかったかと思いました。少年エジソンの質問は、まことに根源的な疑問で、このような疑問を発する子供は、大切に育ててやって欲しいと思います。

 アルバート・アインシュタインは、1879年ドナウ河の左岸ウルム市で、ヘルマン・アインシュタインの長男として生まれた。父は中学を出ただけで、大学には行っていない。母は穀物商人の娘で、バウリーネ・コッホと言った。一家はアルバートが一歳のとき、ミュンヘンに移住した。父親はそこで電気工事店を営んでいたが、学校で数学が好きだったというから、家庭にもある程度の科学的雰囲気はあったようである。

 アルバートは口数の少ないおとなしい子供だったが、小学校では出来が悪く、落第までしている。成績表には"この子は、なにをやっても成功しないだろう"と書かれていました。だが、両親は学校で傷付いて帰ってくるアルバートを学校の基準ではなく、自分たちの家庭の基準で常に励まし、自信を与えるようにしていた。だからと言って、決して甘やかしではなかった。成績は中学に進んでも良くはならず、高校を終わってよい工業大学に入ろうとしたが、入試に失敗して別の大学に入った。

 こんな彼が、世界最高の理論物理学者になった秘訣はなにか。彼は晩年、自分のことを「私は天才ではない。ただ人より好奇心が強く、いつも質問を続けていたからだ」と言っていたそうです。

 先のエジソンといい、このアインシュタインといい、小さいときから好奇心が旺盛で、普通の子が何も感じないようなことにも不思議さを感じ、盛んに質問したというところは共通しています。

家族の支えのもとで、「わからない」を受け入れ、疑問の心(sense of wonder)を持ち続けた二人の少年の姿がとても印象的です。

専門書に落第させられる読者

しかしながら、二人の少年を襲った悲劇は現代でも繰り返されています。「生徒のわからない」を受けとめることができる先生が、今の日本に果たしてどれくらい存在するのか。本書のタイトルは、恐らく川上博士のこのような気持ちから名付けられたのではないかと思います。

一方、同じ悲劇は教育界のみならず、専門書の世界でも起こっています。「読者のわからない」を理解した上で解説できる著者は、世界を見渡しても圧倒的少数派だからです。エジソン少年やアインシュタイン少年と同じく、私達読者も多くの専門書に落第させられていると考えて良いでしょう。また、世の中に氾濫している「わかりやすそうな顔」をした書籍を通じて、読後に「自分はわかった」と錯覚してしまう読者も多いようです。

なぜ、凡書の著者は読者の「わからない」が分からないのか?そもそも「わからない」とはどういう事なのか?

次回は、この問題に真っ向から取り組んだ書籍をご紹介します。