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   西田 亙の本:GNU 開発ツール -- hello.c から a.out が誕生するまで --

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2009-11-23 (Mon)

[Thoughts] 芭蕉直筆の書との対話

柿衛文庫 開館25周年記念特別展

柿衛文庫 開館25周年記念特別展 去る十月、姫路で開催されたとある研修会に講師として赴いたついでに、伊丹市にある柿衛(かきもり)文庫を訪れました。開館25周年を記念した特別展に、あの許六離別の詞(きょりく りべつのことば)が出展されていたからです。柿衛文庫に芭蕉 "直筆" の許六離別の詞が所蔵されていることは、今年の初めに知りましたが、電話で問い合わせたところ、この時は公開されていませんでした。「秋の特別記念展で出品する予定です」とのお話を伺い、この日を静かに待っていた訳です。

当日は朝から曇り空でしたが、JR伊丹駅から地図を見ながら歩くことしばし。交通量の多い国道沿いに、白壁とダークブラウンの取り合わせが印象的な洒落た建物が現れました。

許六離別の詞

芭蕉直筆 許六離別の詞 休日とはいえ、柿衛文庫の館内は閑散としており、拝観者は私の他に年配の方が数名程度。入場料を支払い、2階の展示室へ。

展示室は大きくふたつに分かれており、一番広い部屋に有名な「婦る池や 蛙飛びこ無 水の音」が配置され、私が目指す軸装はもうひとつの部屋にありました。もちろん、"古池や" には目もくれず、許六離別の詞が掛けられた展示の前に直行。

人の気配から、入館者の皆さんが古池コーナーを出入りしている様子は伺えましたが、なぜかこの軸装の前にはほとんどやって来ません。おかげで、30分ほど貸し切り状態でこの名書を堪能することができたのでありました。なんという贅沢。

許六離別の詞は、元禄六年(1693) 芭蕉50歳の折りに、門人である森川許六が帰藩する際に餞別として与えたものです。優れた画家である許六に対する素直な敬意を織り交ぜながら、芭蕉独特の俳諧精神が語られており、現存する真蹟の中で、私は本作品が最高傑作であると思います。

文章の下地には、芭蕉の手になると思われる萩と赤い太陽が描かれており、さらに風情を添えています。日頃は、活字でしか追うことができない本文ですが、現物からは筆致を捉えることができ、筆を進める芭蕉の姿が目前に浮かぶようです。

その細き一筋をたどり失ふことなかれ

私が特に注目したのは、後鳥羽上皇の言葉を引用した直後に続く、次の文です。

されば、この御言葉を力として、その細き一筋をたどり失ふことなかれ

芭蕉はここで一呼吸を置き、筆に墨を含ませ、一気に力強く書き下ろしています。以前、私はこの文に続く「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」に深い感銘を受けていたのですが、芭蕉が許六に託した精神は「細き一筋をたどり失ふことなかれ」であったのだと、今は思います。

この言葉は極めて普遍的な内容を含んでおり、学問・芸・スポーツ、あらゆる分野に通じている。もちろん、technical writingにも通じている。何かを学ぶ時、著す時、その道は険しく細い。先人が辿った道を自分の足で歩み、これを超えることは簡単ではない。けれどもひとは、安易で歩きやすい道を進もうとする。旅人を大通りへ誘い出し、小金を落とさせようとする輩も多い。現代の "知の高速道路" や "大図書館" は、まさに後者でありましょう。

芭蕉は翌年51歳で亡くなりますが、恐らく許六との別れに際して、二度と再会できぬことを予感していたのでしょう。深切に惜しみながら、「燈火(ともしび)をかかげて、柴門の外に送りて、別るるのみ」と終わります。

内容といい、透徹した文体といい、心の中に深い余韻を残す作品です。

受付で許六離別の詞の大ファン(?)であり、四国からやって来たことを伝えると、退館時に学芸員と思われる方が、わざわざ一枚のコピーを手渡してくださいました。"芭蕉の許六離別詞(懐紙の軸装)の再現!"と題して、それまで行方が知れなかった幻の許六離別詞が、平成7年に発見された時の様子が綴られた臨場感溢れる貴重な記事です。有り難や、有り難や。残念ながら、許六離別の詞は絵はがきやポスターとして販売されていなかったため、「是非とも軸装の複製販売を御願い致します」と頭を下げ、幸せな帰路につきました。

ジュンク堂書店より販売依頼届く

四国に帰った翌日。芭蕉様の御利益でありましょうか、ジュンク堂書店 大阪本店より、なんと GNU開発ツール の販売依頼が届いたのでありました。