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さて、ハイインピーダンスヘッドフォンに興味は持ったものの、例によって日本国内では、ほとんど情報が手に入りません。そこで、アメリカに目を転じると、これがまぁ "鉱石ラジオ野郎" だらけ。さすがアメリカ、層の厚さが違います。
彼らの話をまとめると、
ということ。ここまで言われたら、引き下がる訳にはいきません。
で、しばらくの間、検索三昧。しかし、さすがのアメリカでも、ハイインピーダンス・ヘッドフォンを扱っているショップはほとんど見つかりません。オークションに出品されることもありますが、なにせ相手は約1世紀前の代物です。故障品にあたる可能性が極めて高いため、ネット上でも「素人さんは手を出さない方が安全」とのアドバイスがチラホラ。
そんな中出会ったのが、Scott さんのサイト。鉱石ラジオ野郎の世界では、同氏を知らない人間はモグリと言われるほど有名なサイトですが、中でも Vintage Headphone Museum Gallary は世界一、いや宇宙一の充実度。1920年から1940年代に大活躍した、往年の名機を拝むことができます。資料としても超一級品。
幸いなことに、Scott さんは自身が蒐集してきたヴィンテージ・ヘッドフォンの一部を同サイト上で放出販売されています。Headphone Heaven というページは、まさにヘッドフォン野郎にとってのパラダイス。値段は良心的ですし、「動作品」であるという安心感は、他では得られないものです。コードが傷んでいる場合は、新品の cloth cable で修繕してある点も、高ポイント。
Headphone Museum Gallary を隅から隅まで読み込み、他のサイトの情報も参考にした上で、購入候補を3本まで絞り込みました。最有力候補は、鉱石ラジオ野郎の間で最も評価の高い Western Electric 社 509W。この製品は、1918年に特許を取得し、1920年前後に販売された高級ヘッドセットです。オーディオマニアであれば、Western Electric と聞いただけで、その品質の高さを推し量ることができるのではないでしょうか。
当時は、主に軍用として出荷されたようですが、驚くべきはその精度と耐久性であり、製造後90年近い歳月を経ているにもかかわらず、現存する 509W のほとんどが動作するという定評があります。同時代に発売された他社製のヘッドフォンの場合、その多くが劣化もしくは故障している事実とは、対照的です。
幸い、コードに傷みのある 509W が Scott さんの手元にあり、これを修繕後に販売して頂くことになりました。PayPal で送金後、首を長くして待つこと1週間。90年の時を超えて、509W が我が家にご到着。
丁寧な梱包をドキドキしながら開いていくと、現れ出でたるは、輝くアルミをまとった重量感溢れるヘッドセット。秤で量ると 460g もありました。509W に限らず、当時のマグネチック式ヘッドフォンは「重い」のです。
それにしても美しい、美しすぎます。黒光りするベークライトのイヤーパッドに、顔が映るほどピカピカなアルミボディ(右写真でムラに見えるのは、映り込んだ曇り空と庭木)。これが本当に90年前の製品なのか、俄には信じがたいほどですが、表面には確かに "PAT IN USA JULY 23 1918" と刻まれています。夢ではないようです。
はやる心を抑えながら、509W を部屋に持ち込み、日頃愛用しているループアンテナとゲルマニウムラジオに接続。チューニングしていくと・・
なんじゃ、こりゃぁ!
まさに「なんじゃ、こりゃぁ」の世界。とんでもなく大きな声で、NHK放送が飛び込んできます。アナウンスが終わり、音楽に切り替わると、生まれて初めて耳にする「生の」ラジオの音に、思わず鳥肌&涙。
アメリカの鉱石ラジオ野郎おじさん方がおっしゃっていた通り、クリスタルイヤフォン、セラミックイヤフォンとは、全く別次元の世界がそこにありました。まるでアンプを介したかのような音量ですが、そこにあるのは単純な同調回路と検波回路、このふたつだけ。増幅回路という夾雑物を通らないため、逆に豊かな音色として聞こえることは、私にとって新鮮な驚きでした。
509W との出会いで、すっかりハイインピーダンス・ヘッドフォンの虜となってしまった私は、その後も eBay などで収集を続け、現在20本近くが手元にあります。残念ながら、このうちの半分近くは朽ち果てていましたが、残りのものは、製品毎に実に味のある音で耳を楽しませてくれます。
中でも、潮解することなく、奇跡的に生き残っていたクリスタル式ヘッドフォンの音質は、腰を抜かさんばかりに素晴らしいものでした。まさに HiFi。
クリスタル式ヘッドフォンから流れ出る美しい音に酔いながら、
これは、鉱石ラジオの原理を本気で学ぶ必要がある
と痛感した次第です。
なお、鉱石ラジオ野郎の間ではマグネチック式ヘッドフォンの人気が高く、保存状態の良いものにはオークションでも高い値がつきます。中でも Western Electric 509W と Nathaniel Baldwin Type C Mica (振動板に透明な雲母を使用)は超人気。つい最近も、eBay に出品された状態の良い 509W が 200ドルを超える値段で落札され、マニアの間で話題になりました(この影響か、最近 509W の出品が減っています)。
しかし、私がコレクションしてきた製品の中では、クリスタル式が「感度・音質・軽量さ」において優っています。マグネチック式は電磁コイルを原理としているため、重く耳に負担がかかりますが、クリスタル式は軽く長時間の装着に向きます。何よりも音質が素晴らしい。
クリスタル式ヘッドフォンが話題に上らない理由は、湿度により容易に劣化するため、機能する製品がほとんど存在しないことが原因と思われます(オークション出品のほとんどは、non-functioning であるため注意が必要)。
これまで、鉱石ラジオやゲルマニウムラジオの製作記事は、子供向け科学雑誌をはじめとして、ラジオ製作の専門書や、最近では大人向けの製作キットなど、時代を超えて何度も繰り返されてきました。
しかしながら、それらの解説はすべて「ペラペラの数ページ」に留まっています。電子工作の入門書では、最初にゲルマニウムラジオが紹介されるものと相場は決まっていますが、これらの説明もごくわずか。大人向けキットについても、「値段が大人」というだけで、解説の内容は小中学生レベル。
あんたら、鉱石ラジオを舐めとんかい!
鉱石ラジオの原理は、数ページで理解できるほど浅いものではないはずです。こうして日々悶々と過ごす私に、優しく微笑みかけてくれる書籍などあるはずもなく、いじけかけていたある日。「念ずれば通ず」、遂に私を刮目させてくれる名著が現れました。
そのひとつは、末武国弘博士による「基礎電気回路」。培風館より、昭和46年に第一巻が出版されましたが、独創性に富む内容が読者の心を掴み、8刷以上を重ねるベストセラーになります。その後、末武博士は9年の歳月をかけて第二巻を執筆し、昭和55年に第二巻が完成しました。装丁が昔懐かしの培風館スタイルで、郷愁を誘います。
タイトルにある通り、この作品は鉱石ラジオに特化したものではなく、一般的な基礎電気回路理論について解説しています。しかしながら、現在市販されているテキストを含め、電気回路解説書のほとんどが、数式と回路の無味乾燥な羅列に終始しているのに対して、本書は生きた題材を用いながら、先人がいかなる意図を持って交流回路理論を体系立てていったかを読者に示そうとしています。末武博士のこの姿勢が、第二巻のまえがきで語られているので、引用してみましょう。
著者は、1巻と2巻を通して「電気回路」の講義の「ドラマ化」を試みた。文学でのドラマは、例えば起承転結という作劇法にのっとって、作者と観客との「情的な感情の一致」を作り、それによって「喜びと悲しみ」を創り出そうとしているように見える。これに対して、工学書であるこの「電気回路」の場合は、「知的な感情の一致」、いわば「納得」の喜びを学習者に味わってもらおうと試みたわけである。納得とは、文字どおり読者に なるほど と思っていただくことである。それには、各章各節の構成において、起承転結の作劇法を取り入れ、いきなり天下り的に定義から出発する方法を避けて、「何故、そのような考え方が出てきたか」という必然性を追いかける手法を多く入れてみた。
ドラマ化を実現するために用意された創意工夫は並外れたものであり、1巻と2巻の間に9年もの月日がかかったという事実が、この道がいかに困難なものであったかを示しています。10年以上の歳月をかけ、これほどの熱い思いで育まれた工学書が、現在の本屋に置かれているでしょうか?工学部出身でも「高周波回路は苦手」という方は多いようですが、この問題のかなりの部分は、"工夫と思いやりが欠如した教科書" に起因しているように思います。
一方、私達は末武博士の努力のおかげで、最短距離で重要な基本概念に近づくことができます。中でも、鉱石ラジオの理解においてキーポイントとなる、共振回路・結合回路・インピーダンスのベクトル表記・周波数特性の章解説は素晴らしく、他書では代替できるものがありません。
鉱石ラジオを理解するために必要な各論は、末武博士の基礎電気回路でおおよそ学ぶことができますが、我が日本には、より高い視点から電子回路理論を体系化した大偉人が存在します。
その人の名は、故 川上正光博士。東京工業大学および長岡技術科学大学の学長を務められ、工学書のみならず、数々の教育啓蒙書や佐藤一齋の「言志四録」現代語訳を遺されています。なお、教育啓蒙書に関しては、その中で実に大切なことが語られているにもかかわらず、これまた絶版となっているため、日を改めてご紹介する予定です。
電子回路は第1巻が昭和28年に発刊され、昭和35年の第5巻で完結する大作です。各巻の内容については、右の帯裏の解説をご覧ください(クリックで拡大)。判型は、現在では珍しい文庫本を少し大きくした A5 サイズですが、コンパクトなため気軽に持ち運ぶことができます。
私が本書に注目した理由は、川上博士が第1巻の初頭で「ラジオ周波工学」という耳慣れない言葉を使っていた点にあります。この言葉を初めて目にした瞬間、自分が20年以上にわたり探し求めてきたものに、ようやく巡り会えたことを直感しました。
第1巻・第2章は「ラジオ周波工学に必要な基本的事項 その1」と名付けられています。その冒頭は「正統な学問に近道はない。先ず基礎をしっかり理解することが必要である。」という文章ではじまりますが、続く一文に私はぶっ飛んだのであります。
我々は波を作り、波を利用する。波の概念から始めよう。
「我々は波を作り、波を利用する」何と深く本質を突いた言葉か。ラジオ周波工学という言葉の真髄が語られていますが、あまりの凄さに私はしばらく放心状態。一見何気ない表現ではありますが、同じ文句を語れる人が今の世の中に果たして存在するでしょうか?
基礎電気回路と電子回路、このふたつの歴史的名著が絶版になってしまったことは、私達そしてこれからの世代にとって、大いなる不幸と言えるでしょう。次世代に伝えるべきかけがえのない名著が、なぜ失われてしまったのか。私達は、その原因と対策を真剣に考える必要があると思います。
真に優れた書籍には、内容を超えて、読者を感化させる力が秘められています。「導く力」とも言えるでしょうか。書籍を通じて得られた知識は、時と共に風化していきますが、導く力は読者の精神に宿り続けます。
川上正光先生の電子回路には、導く力の一端として各巻の冒頭に賢人の言葉が添えられているのですが、しばしば見受けられる "浮いた引用" とは異なり、書籍の内容と共鳴し合い、読者の心に深く響くのです。
第1巻は、プラトンの言葉から
「極めて少数の人だけが、この意見に賛成して居り又賛成するだろうということを僕は知っている」
を引用。結果的に「電子回路」はベストセラーとなり大成功を収めるのですが、まだ売れるかどうかも分からない第1巻にこの言葉が置かれたことに、博士の凄さを感じます。
続く第3巻には、松尾芭蕉の言葉。
「古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ」
確かに若い頃読んだ覚えがあるのですが、久しぶりにこの言葉を目にして、再びショック状態に。意味するところが深い、あまりにも深すぎる・・。
芭蕉の言葉は、次なる旅への幕開けとなったのでした。
2008/2/20 一部加筆