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   西田 亙の本:GNU 開発ツール -- hello.c から a.out が誕生するまで --

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2008-02-16 (Sat)

[Thoughts][Radio] 鉱石ラジオに学ぶ (前編)

昨年の5月以来、実に10ヵ月ぶりの更新となりました。Computer Architecture Series 第三・第四巻の下準備を行っている間に、「鉱石ラジオ山」へ彷徨いこみ、ようやく下山してきたところなのです。

第三・第四巻は、かねてから私が書きたかったソフトウェアからハードウェアへの導入部を構成する作品ですが、教材として様々なデバイス(digital IC)が登場します。当然のことながら、これらのICを駆動するためには、電源をはじめとして、抵抗やコンデンサ(受動素子)が必要になる訳ですが、恥ずかしながら電気音痴の私には、デバイスの制御はできても、回路中に現れる受動素子の意味が掴めません。

これまで、ありとあらゆる電気工学書を買い揃えて来ましたが、どの書を読んでも私の疑問が晴れることはありませんでした。

きっと自分には、電気のセンスが欠落しているのだ

アナログ&ディジタルフィルタ入門

シミュレーティングで学ぶアナログ&ディジタルフィルタ入門

このような自虐の念に捕われ続けていたある日、小野浩司氏による「シミュレーティングで学ぶアナログ&ディジタルフィルタ入門」という本に出会います。本書は、マイクロネット社のサーキットビューア (体験版電子回路シミュレータ)を用いながら、フィルタ理論の基本を丁寧に解説し、応用編として TI 社 DSP スターターキットのプログラミングを取り上げています。

内容は独創的であり、かつ構成に工夫が凝らされており、フィルタ理論入門書の最高傑作だと私は思いますが、残念なことに既に絶版となっています(初版は1999年)。

この書籍をきっかけとして、それまで私の頭の中で点在していた知識が、線となり、面をなし、結びつき始めます。やがて、交流回路理論学習のために最も優れた教材は、鉱石ラジオではないかと考えるようになりました。

ぼくらの鉱石ラジオ

ぼくらの鉱石ラジオ 鉱石ラジオ。この言葉には、21世紀の現代においても、どこかしら懐かしさと少年の心を思い出させてくれる響きがあります。その昔、ゲルマニウムラジオのキットを組み立てた子供達は、年を重ね大人となり、今再び電子ブロックや鉱石ラジオ、真空管ラジオのキットを手にしていることでしょう。

実は私もその一人なのですが、完成したゲルマニウムラジオにセラミックイヤフォンを接続し、"カサカサした" ラジオの声を耳にしても不思議と感動がありません。「オジサンと化した今、感動する心まで失ってしまったのか・・」と、随分落ち込んだものです。

そんな折り、本屋の工学書コーナーで不思議な装丁の本に出会います。小林健二氏による「ぼくらの鉱石ラジオ」と題する筑摩書房発刊の書籍です。「こころのなかの少年少女たちへ」というメッセージが付された黄色い帯には、「空中にただようメッセージを、自作のごく簡単な回路によってキャッチする。かって少年たちを科学の不思議と夢に誘った、鉱石ラジオの魅力とその全貌」と書かれています。

カバーを外すと、黄色の台紙にライトブルーで "THOSE CRYSTAL SETS OF OUR YOUTH" と刻まれ、中心には美しく幻想的な結晶の写真が配されています。このような、上質かつ暖かい雰囲気を持った装丁は、技術書には縁遠いものですし、「なぜ鉱石ラジオの専門書が筑摩書房から出版されたのか?」、私は内容よりも先にこの点が気になりました。

あとがきに書かれていますが、実は本書の企画は筑摩書房の磯部知子氏が小林氏に提案し、4年の歳月をかけて完成しているのです。初版は1997年であり、私が購入したものは既に12刷を数えていますので、この手の書籍としてはベストセラーと言えるでしょう(もちろん現在も販売中)。逆に言えば、もしも本書が従来の工学系出版社から出版されていれば、遥か以前に絶版となっていたはずです。幸せな本だと思います。

「ぼくらの鉱石ラジオ」の内容については、ここで私が解説するよりは、実際に自分の手に取ってご覧になるほうが良いでしょう。美しい写真や図譜が全体に散りばめられ、さながら大人のオモチャ箱のようです。その昔、電子キットを組み立てた経験をお持ちの方であれば、「この本は、一生自分の手元に置いておきたい」と思われるに違いありません。

実際、本書が持つ普遍的内容は、50年後・100年後の世代にも通用し、また感謝されることでしょう。

ちなみに、本書の企画編集に携わった磯部知子氏は、その後「金持ち父さん貧乏父さん」の編集にも立ち会われています。磯部氏、ただ者ではありません。同氏による金持ち父さん貧乏父さんへの編集者コメントは、こちら

ところで、私は現在、企画, 執筆, 校正から装丁に至るまですべて自前でこなしているのですが、磯部氏のような方に編集して頂くと、Computer Architecture Series は果たしてどのような作品になるのでしょうか。

IN TUNE WITH THE INFINITE

ぼくらの鉱石ラジオで、私が最も心を引かれた箇所は、「はじめに」で引用されている一枚の絵でした。"IN TUNE WITH THE INFINITE" と題する絵には、月光を浴びながら鉱石ラジオに聞き入る少年の姿が描かれています。若々しく伸びた背筋と遥か彼方を見据える視線、遠来する電波と月の光を迎え入れるかのように、そっと広げられた両手が印象的です。

184ページには、この絵に関する出自が記載されています。オリジナルは、1922年に発行された Judge という雑誌に掲載されたものであり、日本では1925年に発刊された「無線電話之研究 (安藤博)」中において「無線研究家の面影」と改題して紹介されたそうです。

私も、情緒豊かなこの絵が一目で気に入り、原典を求めてネット上を探し回りました。しばらくして、運良く「無線電話之研究」の古書出品に出会うことができたのですが、確かにその冒頭でこの絵が引用されています。絵の下には、安藤博士の次のような言葉が添えられていました。

月光がさんさんと静かに照り輝く或る日の深夜、ひそかに起き出でてラヂオを受信し、ああこれは何千哩の何局だ、これは何だ、またこの微弱なのは他の世界から来たのではないだらうか、或いは火星からか知らんなぞと想ひにふける青年を畫いたものである。我々生まれながらにしてラヂオに大なる愛着を感じ、生涯をその研究に費さうとするものは、いづれも此種の経験と感激を有してゐる。

Judge April 22, 1922 こうなると、「調べ物屋」の血が騒ぎ、原典を見ずにはおれません。調べてみると Judge は、アメリカで出版されていたイラストを中心とした雑誌であり、当時のアメリカ文化が美しい絵で綴られているために、現在でもファンが多いようです。eBay にも Judge は多数出品されていますが、目的の雑誌が出品されるのは望み薄。そこで、雑誌専門の古本屋を google で検索し、問い合わせたところ、幸いにも在庫あり。もちろん、即注文。

丁寧かつ厳重な梱包で届けられた雑誌には、PUBLIC LIBRARY のエンボスが押印してあり、80年以上の歳月を全く感じさせないほど状態の良いものでした。

4月22日号は、タイトルにある通り、ラジオ特集。ラジオにまつわる様々なイラストや、小話が収められています。ほぼA4サイズで30ページ余りの薄い冊子ですが、この中央ページに IN TUNE WITH THE INFINITE はホッチキスで綴じ込まれていました。


IN TUNE WITH THE INFINITE ぼくらの鉱石ラジオでは、絵は全て白黒で印刷されていますが、Judge 上では小屋の窓と少年の足もとに落ちる部屋の明かりに、赤インクが添えられています(クリックにて拡大)。絵の右下には、WALTER DE MARIS という作家のサイン。

それにしても、なんて素敵な絵・・。何度見ても飽きることがありません。夜のとばり、近くに迫る山肌、足下の草むら、小屋の質感、暖かみを帯びた屋内光と月光の対比。ペン先一本で、よくぞここまで表現できるものだと、素人ながら感心することしきりなのですが、よく考えてみると少年が装着しているヘッドフォンは不思議です。

鉱石ラジオの微弱な出力では、私達が現在使っているヘッドフォンを直接駆動することはできません。実は、少年が身につけている両耳式のヘッドフォンは、ハイインピーダンス・ヘッドフォンと呼ばれる特殊なものなのです。

後ほど訪れる、半世紀以上昔のハイインピーダンス・ヘッドフォンとの出会いが、素晴らしい旅のはじまりとなります。

後編へ続く