/ «2006-10-12 (Thu) ^ 2006-10-31 (Tue)» ?
   西田 亙の本:GNU 開発ツール -- hello.c から a.out が誕生するまで --

Categories Books | Hard | Hardware | Linux | MCU | Misc | Publish | Radio | Repository | Thoughts | Time | UNIX | Writing | プロフィール


2006-10-15 (Sun)

[Thoughts] コンピュータ学習におけるT型フォード

GNU開発ツール出版後のある日、今年7月日経 Enterprise Platoform 2006 に掲載された Alan Kay 氏へのスペシャルインタビューが目にとまりました。これは、浅見直樹氏による "アラン・ケイが描くパソコンの未来像" と題するインタビュー記事で、後編の三部作になっています。

最近流行りのWeb媒体は、広告の洪水の中で目的の記事がかろうじて顔を覗かせているものが大勢を占めています。内容への興味よりも不快感が先に立つため、私はこの手の媒体は滅多に読まないのですが、本記事は違いました。広告は最小限に抑えられ、上質な雑誌記事を読んでいるかのようです。

分解しやすいようには設計されていない

後編の中程で、次のような段落に出会いました。

 現在と60年前では本質的な違いがある。例えば、もしあなたが子供に、何か
分解できるものを与えたとするならば、子供は喜んで分解作業に夢中になる
ことだろう。子供は好奇心の塊だから、必ず興味を示すはず。ところが、現在の
テクノロジーに目を移せば、分解できるものがあまりに少ない。子供が大好きな
ゲーム機も、それを分解するわけにはいかないし、パソコン自体も分解しにくい。
ソフトウエアについても、分解しやすいようには設計されていない。子供には、
テクノロジーの意味がさっぱりわからない。

これは、まさに私が悶々と考え続けていた課題です。私にとって Kay 氏は雲の上のような存在ですが、「やっぱ、そうっすよねー!」と画面を前に激しく同意。氏は、後編の最後で、次のようにも語っています。

 私は農場で育った。私の少年期を過ごした農場には、T型フォードが数台あった。
1920年代のしろものだ。それも本物の自動車にも関わらず、たった数百個の
部品でできていた。だから12歳の子供でも、週末に友達と一緒に、自動車全体を
分解し、それを元通りに組み立て直すことも可能だった。ところが現代において、
そんなことはありえない。自動車には数百万個もの半導体が組み込まれている。
トランスミッションのシステムも極めて複雑化している。ちょっと改造して
みようと思っても、自動車の原理全体を学ぶことは容易ではない。

私自身は、T型フォードを触ったことはありませんが、これまた激しく同意。

分解不能・理解不能

私が Computer Architecture Series の出版を決意した背景には、僭越ながら Kay 氏と共通する懸念が存在しています。

現代のパソコンやソフトウェアは複雑化と肥大化を来してしまったため、その内部を理解することは容易ではありません。コンピュータの基本原理はシンプルであり、本来誰でも理解できるものです。ところが、現代では複雑さと冗長さが初心者の視界を遮り、"理解への挑戦の心" を非情にも摘み取っています。

社会はひたすら効率を要求し、人々は "理解する間もなく" 前へ進むことを強要されています。疑問を覚え、ふと立ち止まったとしても、理解への道のりを示してくれる資料や書籍は多くの場合見つかりません。

現代のT型フォードを求めて

Kay 氏も指摘するように、"分解できない" ハードウェアやソフトウェアに若い人達の理解を阻む原因があることは間違いないでしょう。しかし、私は基本を学ぶための環境や書籍が絶対的に不足していることが、より大きな問題のように思います。

具体的には、初心者でも "分解できる" 教材と解説書籍の提供です。Kay 氏は100ドルパソコンをその候補として考えているようですが、私はこの点については賛同できません。100ドルパソコンの中身は現代車と同じく、ブラックボックスの固まりであり、個人が理解できる代物ではないからです。

コンピュータ学習における "T型フォード" は何なのか?Computer Architecture Series の続刊を通して、私なりの答えを出してみたいと思います。