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松山・博多の移動途中、様々なことを考える。「今年こそ、プロテクトモード・プログラミングは避けて通れんなぁ・・」
これだけ x86 アーキテクチャが世界中に氾濫しているにもかかわらず、プロテクトモード・プログラミングは、ごく限られたシステムプログラマーの仕事かつ楽しみでしかない。
確かに、大伽藍のごとき x86 アーキテクチャを前にしただけで、ほとんどのプログラマーは尻込みをしてしまうだろう。私もその一人だけれど、これほど面白いネタを放っておくのは、もっと癪に障る。
ただし、その全体像を解説するためには、頂上へのアプローチの道筋を入念に検討する必要があるだろう。何にせよ、各論を語ることは簡単だが、全体を語ることは極めて難しい・・。
「木を見て森を見ず」という言葉がある。この言葉によれば、「小さな視点に囚われることなく、全体を大きく俯瞰しなさい」となる。若い頃は、「ははぁ、有り難や」と三顧の礼でもって、そのまま鵜呑みにしていたのだが、最近は深く考えることもなく、盲信してしまった当時の自分を深く反省。
今にして思えば、この言葉は大変高級なお題なのである。駅前ロマンスに色目を送る性年、もとい青年や、駆け出しの社会人に「森を見よ」と言っても、それは土台無理な話。基本技を体得していない人間が、応用技を披露することは不可能なのだから。
若い人達に必要なことは、むしろ「幹を捉える」トレーニングを積むことではないだろうか?今の社会は、様々な商品や書籍、そしてネット上の情報が溢れている。この結果、「技術の幹」は鬱蒼と茂った葉に遮られ、容易にその姿を伺うことはできない。
幹を見るためには、「枝打ち」が必要だ。しかし、闇雲に打ち落としてしまっては、肝心の木が枯れてしまう。必要最低限の枝だけを残し、視界を広げる必要がある。枝打ちの技術は、いかなる分野でも役立つ能力だが、テクニカルライターにおいては特に重要な役割を演じるように思う。
美しく葉が茂った木々を遠くから鑑賞することは、たやすく気持ちが良い。しかし、視点を遠くに置く限り、その幹は決して見えてはこない。枝葉に傷つきながら、一本一本の幹を捉えることができた時、その時初めて私達は「森を語れる」のではなかろうか?
ということで、x86 アーキテクチャ制覇のロードマップ作りを始める。先日、大学生協のカタログを見ていて、面白そうなノートを見つけたので、注文。その名も「実験ノート」というものだが、5mm 方眼が目に優しいライトグリーンで印刷されており、一目で気に入ってしまった。
こいつに、Pelicano junior でひとつひとつの情報や、説明上のアイデアを書き連ねてゆく。サイズプレフィックス、面白い。リアルモード上でのセグメントディスクリプタ・キャッシュの取り扱い、超面白い!x86 内部は、ワクワクするような Sense of Wonder に満ちあふれている。