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   西田 亙の本:GNU 開発ツール -- hello.c から a.out が誕生するまで --

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2003-11-17 (Mon)

[Writing] Linuxから目覚めるぼくらのゲームボーイ! 校正完了

明日のジョ−

怒濤の校正が完了。執筆もさることながら、ページ数が増えてくると、校正も大変な作業となる。この時ばかりは、普段ずぼらな私も、さすがに集中集中、また集中。

人間、他人の不備はよく目についても、自分が犯した誤りとなると、意外と気づかないものである。これは、コーディングも原稿も一緒。よって、少しでも集中力が途切れると、ケアレスミスや文章の不具合を容易に見逃してしまう。著者・編集部以外の第三者によるチェックの存在も重要であり、今回は読者の一人である東木さんから、詳細な査読リストを送って頂いた。感謝します。

集中力に合わせて、もうひとつ大切なことは、「自分は過ちを犯しているはずだ」と自覚できるかどうか。もちろん、最初から過ちがないに越したことはないのだが、これは神様でもない限り不可能。「間違いは必ず紛れ込んでいるはず」なのだが、若い間はなかなかこの自覚を持つことができない。かく言う私もその一人だった。

卒業して間もない頃、私が書いていた入院サマリーや症例報告などの原稿は、それはそれはひどいものであった。上の先生に原稿を渡して、手元に帰って来る頃には、いつも赤ペンで全体が真っ赤に染まっていたものだ。自分としては最高傑作を手渡したつもりだったので、なぜ自慢の作品がこれほどまでに真っ赤になるのか、当初はその意味がよく分からなかった。「これは、単なるいじめではなかろうか?」、そんなことを感じた時もあった。当時の私は、自分の非に気づくことが出来ないほど未熟だったのだ。

「赤ペン」の意味を真に了解するためには、大学院修了後10年近い歳月を要したような気がする。文章ひとつをとっても、ならず者に作法を教え込むためには、これほどの時間と労力が必要になるのである(もちろん、個人差がある)。山崎豊子が白い巨塔で描いた通り、医学部は確かに縦社会かもしれない。しかしながら、彼女は「権力」に囚われるあまり、縦社会における「教育」の存在とその意義を見落としている。残念なことだ。

さて、頭の中は「真っ白に燃え尽きた明日のジョー」、である。後は、渡辺編集長とデザイナーの皆さんにお任せする。作業が遅れて、あいすみません。週末の学会スライドの準備をして、綿のように爆睡。