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2003-09-23 (Tue)

[Thoughts] Comfortable English

優れた英文だけを読むべし

昨日「翻訳書を手に取るなかれ」と書いたが、これだけでは読者の方々に不親切というものだろう。実は、英文の原書やテキストを手にするにあたり、もう一点注意しなければならないことがある。それは、目的の文献が「Comfortable English」で書かれているか、否かということだ。

Comfortable English については、昨年旧サイトでショートエッセーを公開しているが、再度今の私の言葉で書き直してみよう。

コンピューター英語をきっかけとした私の英文との付き合いはすでに20年を超えるが、十数年以上経過してようやく分かってきたことがある。それは「アメリカ人と言えども、全員が良質な英文を書ける訳ではない」という事実だ。考えてみれば、 私達日本人が書く文章にも雲泥の差がある訳だから、欧米においても同様であろうと類推できる。しかし、悲しいことに多くの人達はこの事実に気づいていないし、声高にその重要性を叫ぶ人もいない。

私自身、当初この知識を持っていなかったために、随分余計な回り道をしてきた経験がある。結果として、膨大な時間とお金を無駄に費やしてしまった。あの頃、私に適切な指導を身近で与えてくれる教官がいれば、私の人生は変わっていたかもしれない。いや、確実に変わっていただろう。以下、私が長い間にわたる放浪の果てに到達した結論を記しておく。

今の時代、技術英語が読めるかどうかは技術者にとって死活問題である。オンラインで出回っている膨大なページの中から、自分が真に必要としている文書を選び出し、そのエッセンスを抽出。自分なりに情報を消化し、生きた知識として大脳に固定化する。

この一連の作業の中で最も重要になるポイントはなんであろうか?そう、一にも二にも「優れた技術文書」を情報源として選ぶことだ。言葉は悪いが、決して「カス」を選んではならない。インターネットの普及や出版物の増大により、一昔前に比べるとリソースは膨大な数に膨らみつつある。まさに玉石混淆の状態だが、困ったことに「玉」を見つけ出すことは、砂金探しと同じぐらい骨が折れる作業になってしまった。このため、現代の技術者には最小限の苦労で「玉」を探し出すことができる、犬並みの(?)優れた嗅覚が求められているのである。

優れた英文技術書の条件とは、情報が正確に誤りなく書かれていることはもちろんだが、英文として読みやすいものかどうか、「Comfortable English」であるかどうかが、最も重要な因子となる。日本語に訳すと「気持ちの良い英文」という意味になるが、この表現の背景には「学歴のあるアメリカ人は論点を簡潔かつ明快に表現することを comfortable と感じる」という事実がある。

ここで「学歴のある」という限定語が付加されている点に注目してほしい。残念ながら、日本では「学歴」という言葉に対して Negative なイメージを持つ人が多い。「人前でそんな言葉をむやみに使ってはいけません」というところか。これは裏を返せば、日本人の多くは、学歴を社会の中でステップアップしていくための「最終目的」としてしか捉えていないことを意味している。つまり、学歴が持つ教育的意義を完全に見失っているのだ(受験生も親も学生も教官までも)。

面白いことに日本で高学歴と言えば「○○大学卒業」を意味しているが、欧米では学位取得者(Ph.D.; Doctor of philosophy)を指す。学歴社会と言われる日本だが、蓋を開けてみると一流企業と言えども採用しているのは大卒がほとんど。一方、欧米企業は多くの博士号所有者を雇用しており、「日本企業の低学歴現象」を指摘する経済学者もいるほどである。それではなぜ欧米の企業は高い給料を払ってまで、Ph.D. を採用するのだろうか?

これは私の憶測だが、欧米企業の評価のひとつには、本人が Ph.D. を取得する過程で徹底した writing/public speech/presentation のトレーニングを受けている点を重要視しているのではないだろうか?分かりやすく言えば、自分の考えを簡潔かつ明快に表現できる能力だ。実際、欧米の著名経済人達は「あなたがこれまで受けた来た教育の中で、最も役立っているものは何ですか?」という問いに対して、異口同音に「それはプレゼンテーション能力だ」と答えている。

私のつたない経験からしても、このようなトレーニングを存分に受けることができるのは、大学院しかない。大学院で徹底したスパルタ教育を受けたアメリカ人の学術論文は、本当に素晴らしい。もちろん全てとは言わないが、たまに読んでいて思わず溜め息がもれるような「Comfortable English の名作」に出会うことがある。Comfortable English とは単純に文章の出来だけを指している訳ではない。論文の構成、論理の明確さと正しさ、話の展開、起承転結、これらすべてが水が流れるごとく自然に読者に受け入れられる文書のことを表現しているのだ。このために、アメリカの一流研究者は推敲に推敲を重ねると聞く。「学歴のあるアメリカ人」は高学歴を裏付けるだけのトレーニングと技術、そして絶え間ない努力の上に成り立っていると言えるだろう。

こういう背景を踏まえながら、コンピューター英語の世界を観察すると、首をかしげざるを得ないような状況に多々出会う。この傾向は特にオープンソース界で激しく、中でも Linux 関連文書は最大の問題児だ。例えば Linux について情報を求める人達は、まず最初に Linux Documentation Project (LDP) の HOWTO 集を手に入れることだろう。Linux カーネルソースツリー内部の Documentation ディレクトリに納められた文書も参考にするだろう。しかし、私の目から見ると、この中の大多数の文書は非常に読みづらく、著者が何を言いたいのかが分からない。

難解な文書の著者の多くは、おそらく学術論文を書いた経験がない、もしくは writing に関するトレーニングをほとんど受けていないのではないだろうか?我流のスタイルで書き下ろしているために、結果として英文に無駄が多く論旨も不明瞭になっている。問題はこのような未熟な文書群が、野放しになっているどころか、次から次へと増殖している点である。悪いことに、日本ではさらに「和訳」というフィルターがかかる。ボランティアーによる作業であるから、誰も責任を問う訳でもなく、酷評もしないのだろうが、若い人達への影響を考えると事態は深刻である。

よって、日本で後輩を指導する立場にある人達は、まずは「良書のリスト」を示してあげなければならない。英文読解力が未熟なうちは、英文の善し悪しが判断できないからだ。「この英文の意味が分からないのは自分の英語力が未熟なせいだ、後でもう1回読み直そう、トホホ・・」と、悪文相手に苦労している技術者はかなりの数に上ることだろう。私自身、どれだけ無駄な時間を費やしたことか。

美術、音楽そして料理と同じく、自分の中に「文章のリファレンス」を持つことが大切である。そのためには、SICP のような高度に洗練された本物の書物達を、数多く読み込まなければならない。そして、それ以上に大切なことは、日本語英語に関わらず「駄文を回避する」ことである。失われた貴重な時間は、二度と戻って来ないのだから。