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   西田 亙の本:GNU 開発ツール -- hello.c から a.out が誕生するまで --

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2003-09-22 (Mon)

[Thoughts] なぜ翻訳書はダメなのか?

翻訳書を手に取るなかれ

SICP の続編・・と行きたいところだが、余りにも書きたいことが多すぎるため、日を改めて挑戦することとしよう。が、その前に一言。

SICP はテクニカルライターにとっての聖典でもある。用意周到に選ばれた言葉の巧みさ・正確さ・分かりやすい表現は、比類ないものだ。日本の中学生英語のレベルでここまで完璧な英文を書き上げた著者達の力量には感服させられる。本当に優れた文章というのは、誰が読んでも平易であることを示す、最高のお手本と言えるだろう。

しかし、気を付けるべきは、あまりに流麗な文章であるため、時として重要なキーワードを見逃してしまう点にある。SICP の著者達は、膨大な手間暇をかけてひとつひとつの言葉を壮大なストーリーの中にはめ込んでいる。決して、さらさらと書き流したものではないことを肝に銘じながら熟読しよう。

そして、もうひとつ大切なことは、このテキストが英語で書かれているという事実である。残念ながら、言語の違いはいかんともし難い。Scheme で書かれたプログラムをC言語で書き直すことは出来ないように・・。著者達が愛情を込めて拾い上げ、名付けた言葉達は英語である。言葉には意味だけでなく、リズムや音韻が備わっている。もちろん、文法が影響するところも大きい。

このような状況下において、私達の母国語である日本語は、Computer Science を記述するには、あまりにもハンディキャップが大きいように私は感じる。

さて表題の件だが、日本で出版される翻訳書のレベルは総じて低い。他言語の翻訳書を読んだ経験はないが、おそらく世界的にも見ても地を這うほど低いレベルにあると思われる。なぜか?

答えは簡単だ。真に実力を持った作家であれば、他人様が書いた文章の翻訳に貴重な時間を割くよりも、自分オリジナルの著作に挑戦したいだろう。結果として、自らの発想で新たな本を書き下ろす力はないが、自身の経験に基づき翻訳は可能な人達が、担当することになる。この時、原著者と双璧の実力を持った人が担当すれば、適切な訳注も備わった素晴らしい翻訳書が誕生するが、ほとんどの場合は、さにあらず。訳文が日本語にすらなっていない本が、いかに多いことか。

最近はページ数の多い出版物が増えており、単独では到底翻訳しきれないことも問題を助長している。監訳本の類がそうであるが、その現状たるや目を覆うばかりである。これは、翻訳の遙か以前、その人の国語力の問題だ。そして、この国語力をきちんと指導できる人達が絶望的なまでに不足しているのが、今の日本の現状である。

それではどうするか?簡単である。これからの技術者や学生は、みんな英語の原書を読めば良い。実際、アジアの技術者達は皆、英語で情報を入手している。日本の技術者だけが、大きな口を開けて親鳥が翻訳書を運んでくれることを待ち続けているのである。しかも、その親鳥が運ぶ餌ときたら・・・。なんという悲劇だろうか。

実際、高いお金を出して買った誤訳・珍訳本が理解できず、「こんな有名な本が理解できない俺って、なんてアホなの・・」と、心に深い傷を追った読者は数知れないことだろう(私もその一人)。今の日本のマスコミに、「この翻訳は最低です、読んではいけない!」と警鐘を鳴らす勇気ある書評は存在しないのだから、無理もない。

インターネットの普及は都会と田舎の格差を打破しつつある。実際、私は四国にいながらにして、世界中のライター達と対等に渡り合うことができる。東京に身を置く必要など微塵も感じない。私にとって最も大切な情報源であるソースリストはネットワークを通じて瞬時に手に入れることができるし、必要なリファレンスや絶版書は amazon.com から購入できる。そして、日々の連載執筆のために使用している情報源のほとんどは、ソースも含め海外である。恐らく、中国やインドの技術者達も同様だろう。

本屋で翻訳書を手に取るのは楽だ、簡単だ。しかし、その安易さの代償として、若い人達が失うものはとてつもなく大きい。そして、この積み重ねが、日本の産業に将来どのような影を落とすのか。悩みは尽きない。