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先日のメモは、夜明け前に書き上げたせいか、感情が入りすぎてしまった・・反省。Rusty Russell 氏の Last name もミスタイプしてしまい、猛省。今日はまだお昼過ぎなので、少し冷静に話の続きを進めることにしよう。
Goodbye, Linux は、コメント欄を含め、各所で様々な評価を頂いているようだが、私達にとって大切なことは可能な限り多くの視点から問題を捉えることにある。本メモ上で提示しているものは、あくまでも私個人のひとつの視点に過ぎず、世の中にはそれこそ星の数ほどの考え方が存在する・・はずだ。
ところが日本というのはおかしな国で、「ハト派・鷹派」、「右翼・左翼」という言葉に代表されるように、物事を1ビットの粒度で捉える習慣を幼少時代から叩き込まれる。「戦争はいけません」、「日本国憲法第9条は偉大です」という具合に。当時の日本で一体何が起こり、世界はどう動いていたのか。その事実を教えた上で初めて、解釈と議論が成り立つはずだが、子供に考えるチャンスは与えられない。大人ですら、無署名の新聞記事やニュースに翻弄されるばかりである。
世界は1ビットで判断できるほど単純ではないし、地域、民族、宗教、時代により、物の見方は変わる。今やゲーム機ですら128ビットの表現力を持とうかという時代に、どうして「賛成か否か」、「善か悪か」というお粗末な物差ししか使えないのだろうか?
実は、かねてから「オープンソース」というテーマに関しても同じ危惧を抱いている。「ソース公開は善であり、無料であることもまた善」、ここまでは理解できなくもない。しかし、「ソース非公開は悪であり、有料であることもまた悪」という暗黙の風潮は、日本国憲法第9条と同種の問題を孕んでいるような気がするのは、私だけであろうか?
Linux には光り輝く一面と、人々を迷宮に誘い込む闇の一面が存在する。Linux を正しく理解し、効率的に運用するためには、少なくともこの二面を熟知しておく必要があるが、悲しいことに日本のマスメディアは、前者にしか興味がないようである。
現代の広大な情報砂漠を渡り切るためには、自らの足で歩き、自らの五感を信じ、自らの頭で考え抜くしかない。
真実を求めて旅する者の前には、古来「物の怪」があの手この手で、立ちはだかる。日本では、この物の怪が新聞やテレビであったりするから、大層怖い。その一例をご紹介しておこう。
最近、マスメディア上を賑わせている言葉のひとつに、「多国籍軍」がある。私がこの言葉を初めて知ったのは、今を遡ること14年前の湾岸戦争(Gulf War)。天の邪鬼の私は、その「もって回った表現」を訝しく思い、早速その原語を調べてみた。結果、驚愕した。
当時の日本人にすっかり浸透していた「多国籍軍」という言葉は(今もそうだが)、驚くなかれ "Allied forces" の翻訳だったのである(意訳、いや超訳と言うべきか)。海外では、プロのニュースライターは、記事中で同一用語の繰り返しを極力避けるため、 "Allied forces" を "Coalition forces" と言い換えることも多いが、両者の日本語訳は、どう考えても「連合軍」である。Allied から多国籍という言葉を捻り出すためには、かなりの労力とセンスを要する。
当時の日本において多国籍軍への「読み替え」が行われた背景には、「見えざる大きな意志」が働いていたと考えるのが、自然であろう。そして、日本中のマスメディアが一糸乱れることなく多国籍軍という表現で統一を図った事実は、かっての「大本営発表」を彷彿とさせるし、「民をして知らしむべからず」という精神も、この国では未だ健在であることが分かる。
以上、下手な夏の怪談よりも怖い話だが、これには後日談がある。つい最近の5月15日、イラクでは大々的な「連合軍の組織改編」が行われた。日本のマスコミ風に表現すれば、「連合軍改め多国籍軍」、正式には「CJTF7 (Combined Joint Task Force 7)改め Multinational Corps Iraq and Multinational Force Iraq」である。
改編前の連合軍ホームページについては、今なら CJTF7 で検索をかけるとキャッシュ中に見つけることが出来る。ちなみに、改編後はこちら。我が日本が最下段に位置しているのはご愛嬌として、Multi-National という上品な表現とは裏腹に、URL アドレスは "coalition-forces.htm" となっている。見かけは変わっても、中身は「連合軍」のままなのである。
14年前の時点で、既に「多国籍軍」と呼称していた(させられていた)私達日本人は、先見の明を持っていたというべきなのか、それとも自分たちにとって都合の良い蜃気楼を呑気に眺めていただけなのか。考えるほどに暗鬱な気分にさせられるが、これが現実の「一面」である。
さて、次回は Russell 氏自身の立場から、2.6 モジュール問題を捉えてみることにしよう。相手の側に立つことで、新たに見えてくるものも多いからだ。