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Replica 1 にはわずか一日、いや一時間で愛想が尽きてしまった。Replica I は Apple I を再現するためのハードウェア環境としては、確かに申し分ない出来だろう。しかし、添付されている文書のレベルたるや、高校生以下の代物である。Wozniak & Jobs による(彼ら自身が書いたかどうかは知らないけれど)、Apple I owner's manual も同様の出来だ。
私は、こういう未熟な文書に出会うと、悲しくなると同時に、腹が立って仕方がない。著者らが、本気で読者の立場に立って書いているとは、到底思えないからだ。日々の生活の中で、繰り返し私を責め立てる疑問がある。
若い頃は、「理解できないのは、自分がアホだから」と考えていた。学校からは「難しい文章問題を解ける人が賢い人、難しい大学に行ける人」と教えられていたからだ。
しかし、今は違う。成人後10年近くをかけて、学校から教えられたこととは、正反対の境地に達した。ある日、「難解な文章の著者、その人こそがアホなのだ」と悟ったのである。著者の多くは、自らの無知を封印してしまったために、実はゴールに到達できていないこと、そしてそのゴールは自分の力で探し出すしかないことにも気づいた。途端に気持ちが楽になり、回りの視界が一気に開けた。と同時に、「どうして30年もの間、誰も真実を教えてくれんかったんや〜〜!」と我が人生を恨んだ。しかし悔やんでも仕方がない。脳天気な私は「人生半ばで気づけただけでも、めっけもの」だと考えた。
それからというものは、自分が真に理解できているのか、いないのか、常に意識しながら文書を読むようになった。学校教育の弊害により、私はずっと「知らないことは悪いこと」、「無知は恥ずべきこと」と考えていた。しかし、真に恥ずべきは「自分が無知であることを黙殺する」ことだったのだ。この時、「無知の知」という言葉の意味が、初めて了解できたような気がした。
世の中には技術書を書くために様々なノウハウ本が存在するが、私自身はこれまで一冊も手にしたことがない。披露宴のスピーチ本と一緒で、これらの本を百冊読んだところで、人の心に残る文章が書ける訳がないことを知っているからだ。
私自身の経験から考えれば、Technical writer にとって最も大切な資質は、自分の無知を冷静に見つめることができるかどうか、この一点にかかっている。無知に気づくことができれば、後は時間をかけて無知を知に熟成させていけば良い。自分の無知を認めることは、誰しも大層辛い。しかも、答はそう簡単には見つからないから、無知は増殖するばかりだ。ストレスも貯まる。しかし、この苦しみに耐え、ひとつの解に達することが出来たとき、書くべき内容は自ずと頭に浮かぶことだろう。Technical writer は「読者の身代わりとして痛みを知る人」と言えるのかもしれない。