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2009-03-31 (Tue)

[Thoughts][Books] 小説作法 スティーヴン・キング (その一)

小説作法 先日は、橋本治の "わからないという方法" を通して、「編集者の出る幕なんかない」場面を紹介しました。これに対して、「編集者は神」と明言する作家も世の中には存在します。今日は、その代表作家であるスティーヴン・キング(Stephen King)が著した「小説作法 (On Writing)」をご紹介しましょう。

King 氏は、ホラー小説界の帝王として有名ですが、同氏の手になる「小説作法 (On Writing)」は、小説家を志す人達の間で高く評価されている、一風変わった作品です。残念ながら、池 央耿(Ike Hiroaki)氏による邦訳は絶版となってしまいましたが、原書は今でも出版されています。

翻訳書のタイトルは読者に「小説の書き方」を連想させますが、この命名はいささか不適切です。原題に "On Writing" とある通り、King 氏は writing 全般を念頭に執筆しており、読者対象を小説家の卵に限定している訳ではありません。彼がこの作品を通して語りかけているのは、文章を書こうとするすべての人々です。

ただし、本書を手に取る前に、次の注意書きを読んでおくように。

 すでに本文をお読みの方はご承知であろう通り、これは極めて正統かつ高度な文章論であって、
 「あなたも作家になれる」式の安直なハウツー本とは何光年もの隔たりがある。

翻訳者である池氏のあとがきからの引用ですが、「安直なハウツー本とは何光年もの隔たりがある」というくだりが泣かせます、硬派です、渋いです。「普通の翻訳者は "何光年" という表現なぞ使わんよなぁ・・」と不思議に思いながら奥付を見ると、なんと池氏はJ.P.ホーガンの "星を継ぐもの" を翻訳されているのでありました、納得。

帯の変遷

ちなみに、絶版前の書籍の帯には、野口悠紀雄氏の推薦文("超文章法"からの引用)として

 これほど有益な示唆を詰め込んだ文章読本は見たことがない。
 読むだけで、文体が大きく変わる!

が掲げられていますが、「読むだけで文体が変わる」では、"安直なハウツー本"と何ら変わりがありません。King 氏がこの推薦文を読んだら、思わず脱力するのではないでしょうか。

野口氏の右隣では、齋藤孝氏による

 ものごとに上達するためのあらゆるノウハウが詰まっている。
 小説家を目指す人だけでなく、広く読んでほしい!

という推薦文("絶対感動本50"からの引用)が並んでいますが、これも解釈のベクトルが相当ずれています。「あなた、ちゃんと中身を読んで書評したの?この本のどこが、万人向けに書かれた啓蒙書に見えるの?」と小一時間問い詰めたい。

上記二人の帯文句にカチンときてしまった私は、本書の昔の版を古本で集めてみたのですが、初版の帯は背表紙のところに「良い文章を書く秘訣」とあり、表紙には「小説家として学んだすべてのことを伝えたい」、裏表紙には「私はどのようにして書くのか?」の次に章立てが並んでいます(翻訳版の小説作法の当初の装丁は、現在の書影とはことなり、著者の顔写真が添えられている)。なるほど、これらの文句なら著者の意向に近い。

面白いことに、第二版の帯は、作家である川上弘美氏の朝日新聞書評から次の言葉が引用されています("大好きな本"に掲載)。

 私はこの本を読んでたいそう感心した。
 けれど同時にものすごく悲観した。
 私は一生キングにはなれないと痛感してしまったから。

「素直でええやん、うんうんその通り」と、私はとても好感を持ったのですが、出版社はこれでは本が売れないと判断したのでしょう。その後間もなく、白い装丁と共に、帯の文句も上記のものに変更されたのでありました。帯や装丁の変遷を辿ると、色々なことが見えてきます。

翻訳家 池 央耿氏

内容の紹介に入る前に、本書の翻訳について一言。Amazon.co.jpの評価欄では、翻訳に対する批判が目立ちます。確かに、本書には一般的な翻訳書に比較して難字が目立ちますが、その裏には翻訳者の意図が隠されています。池氏の本意は、ほぼ日刊イトイ新聞上に掲載されている翻訳人と題するインタビュー記事で語られていますので、翻訳作業に興味がある方はご覧になると良いでしょう。インタビューの最後で語られている

 私は「最終的に重要なことは、自国語で何を考えることができるかどうか?」と考えています。

という言葉には、深い共感を覚えます。もう少し補足するならば、「自国語で何を考え、これをどう表現できるか」は、社会人として最も重要な資質と言えるでしょう。King 氏は本書で、その表現方法を小説家の観点から解説しています。

それにしても、ほぼ日刊イトイ新聞のレイアウトは、天然記念物もの。広告はほとんど見あたらず、文章は細断されずに1ページで全文を提供。Web中にスーパーのチラシと化したページが蔓延する中で、ホッと一息できる静かなページです。

Large numbers of people have at least some talent as writers and story tellers.

On Writing 小説作法の巻頭では、著者がなぜこの本を書いたのか、その理由が次のように語られます。

 人はみな多かれ少なかれ作家、ないしは語り手の素質を具えている。
 これは発展に向かう能力であり、磨けば光る才能である。
 そうでなかったら、こんな本を書いたところで時間の無駄だろう。

池氏の翻訳はさすがに完成度は高いですが、原文と読み比べると原作者と翻訳者の力比べが垣間見えますし、「ワシだったら、ここはこう訳すけどなぁ・・」と二倍楽しめます。ちなみに上記の原文は、次の通り。

 I believe large numbers of people have at least some talent as writers and story tellers, and that those talents can be strengthened and sharpened. If I didn't believe that, writing a book like this would be a wasted of time.

私は、二回繰り返される believe と "those talents can be strengthened and sharpened" というくだりに、著者の強い思いを感じ取りました。King 氏は、多くの人々が物書きの才能を秘めていると考えていますが、一方でこの才能を開花させるためには長年にわたる厳しい修練が不可欠であることを主張しています。

Permission slip

小説作法は、下記のように3つの章から構成されていますが、

  • 生い立ち C.V. (curriculum vitae の略)
  • 道具箱  TOOLBOX
  • 小説作法 ON WRITING

実際には "作者の軌跡" と "On Writing" が、何度も入れ替わりながら現れます。

幼い頃の最初の記憶は、Stephen 二歳の時。庭に転がっていたブロックを抱え上げ、大人の前で得意満面になったはいいけれど、ブロックの中に巣作りをしていたスズメバチが飛び出し、耳を一撃。激痛で頭が真っ白になり、思わず取り落としたブロックが今度は素足を直撃。小さな五本の指が潰れた・・。読んでいるこちらが「痛い」っす。

続いては、Stephen 四歳、80kgを超える巨漢の意地悪ベビーシッターが登場。彼女の得意技は「放屁」。小さな Stephen は長いすに押し倒され、顔面にあてがわれた大きな尻からバフンとオナラを毎度くらっていたのだとか。その後、彼女は「7つの卵事件」で解雇。この卵事件とは・・もう気持ち悪くて書けませんです。

私はこれまで King 作品を読んだことはないのですが、その才能はこの二つのエピソードを読んだだけで十分理解できました。彼は、文章を通して読者の五感を刺激する技に、実に長けている。しかもその効果は脳裏に深く刻まれ、減衰することがない。わずか4ページを読んだだけで、私の頭の中は、激痛と強烈な臭いの放屁、そして床一面のゲロで溢れかえってしまいました。もう、勘弁して・・。

これ以上 King 氏の術中にはまると、頭がおかしくなりそうだったので、"作者の軌跡" については4ページを読んだだけで封印。後半では、アルコール依存症・薬物中毒からの離脱、自動車事故の顛末と奇蹟の生還などのエピソードが語られ、King ファンは涙なくして読めないそうですが、部外者は無理をして付き合う必要はないと思います。本書の真髄は、"作者の軌跡" ではなく、"On Writing" にあるからです。

この点については作者自身も認めており、後記で次のように述べています。

本書の一部で、少し長すぎたかもしれないが、私はどのようにして文章を学んだか、自分の体験を語った。いくらかなりと、これから書こうとする人々の参考になればという趣旨である。残る部分は、おそらく、ここが一番の読みどころで、許可証の意味合いを含んでいる。人は誰でも文章を書くことができるし、また、書くべきである。一歩踏み出す勇気があれば、きっと書く。文章には不思議な力がある。あらゆる分野の芸術と同様、文章は命の水である。命の水に値段はない。飲み放題である。心ゆくまで、存分に飲めばいい。

許可証は原文では "permission slip" となっています。すなわち、Stephen King という作家は本書を通して、物書きを志す人達に「その覚悟を厳しく問う」ているのです。

ーー つづく ーー