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   西田 亙の本:GNU 開発ツール -- hello.c から a.out が誕生するまで --

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2008-02-28 (Thu)

[Thoughts] プログラマの教養は manual pages に宿る (その1)

NetBSD のドキュメント一覧は、こちらにまとめられています。中でも、The NetBSD Guide は書籍顔負けの完成度。現在、NetBSD の解説書は出版されていませんが、これだけ充実したガイドが準備されていれば、確かに必要ないのかもしれません。

The NetBSD Guide is published.

同書は、NetBSD www チームによって更新が頻回に行われており、現在公開されているファイルの日付は9日前の 2/21 となっていますが、その表記が実に渋いのです。

 Published: 2008/02/19 18:52:52

日付の前にさりげなく添えられている、"Published" にご注目。オープンソース界隈ではあまり見かけることのない表現ですが、この言葉は決して軽々しく使えるものではありません。The NetBSD Guide を「出版物」として恥ずかしくないレベルにまで磨き上げたという、www チームの覚悟と自信の程が伺えます。

ガイドや FAQ の他にも、NetBSD では様々な文書が用意されていますが、最も素晴らしい文書資産は NetBSD manual pages かもしれません。

人の心が分かる心を教養という

manual pages について話を進める前に、養老博士のお話をご紹介しておきます。出典は雑誌だったのか、テレビ談義だったのか、思い出せないのですが、教養課程における教育問題について議論している中で、「そもそも教養をどう定義するのか」という話題になったのだそうです。そこである教授が、「人の心を分かる心が教養というものでしょう」と発言されたのだとか。

誠に名言。私も学生講義の時に引用させてもらっていますが、世間は教養を "その人の知識量" であることと取り違えているようです。随分前になりますが、日本経済新聞の春秋がこの言葉に言及していたので、引用します。

解剖学者の養老孟司さんによると、教養とは知識の量ではなく、相手の気持ちがわかることだという。他人と共通の基盤にたって考える能力が「教養」で、その基盤にあたるのが、読み書きソロバン、歴史認識などの「素養」ということになる。

全ての職業にあてはまる話ですが、プログラマの場合、設計・コーディング・テスト・デバッグ・資料作成などが素養に該当するとして、教養は何にあたるのでしょうか? 私は、UNIX 環境が誇る manual pages こそが、プログラマの教養を映し出す鏡ではないかと考えています。

続く